今朝起きがけにふと思った。
まっ白なこころってなんだろう。。。?
イメージ的には「汚れのないこころ」。。。?
そんなのあるのかな?
「○○さんは、こころがまっ白できれいなの!!」って言うことがある。
今でもこころがきれいだなって思う人はたくさんいるし、
自分もそうなりたいなーって思ってきた経緯がある。
その「白」ってどんな色?
たぶん、その白って、
「白だけ」じゃないんだろうな。どゆ意味??笑
白だけで成り立つのではなくって
いろんなものが混ざり合って融合して白になった、そんな白。
物質的な色(絵具とか)の世界では、すべての色を混ぜると黒になる。
(=光のエネルギーが減る)
そしてすべての色の光を吸収する。
光の世界では、すべての色を混ぜると白になる。
(=光のエネルギーが増える)
そしてすべての色を反射する。他のどの色も吸収しない。
参考サイト:『京都市青少年科学センター』、『色の三原色』
おもしろいね。
肉体的にはいろんなものを吸収していって黒くなるけど、
精神的にはいろんなものを吸収していった結果白くなっていく。。。
そしてまわりを照らす揺るがない光となる。。。
って感じ?
この人生をとおして酸いも甘いも苦いも辛いもさまざまな出来事を体験する。
そしてそれによって自分の中を観る。
自分の中にあるものを知る。
時にはそこにある暗闇に飲み込まれそうになることもあるかもしれない。
でも、暗闇があるということは、光があるということ。
生老病死、肉体的には避けられない衰退はあっても、
たましいとしての自分は、この人生でいろんなことを体験しながら、どこまでも、
すべてを統合した白い光のエネルギーに近づいていくことを目指しているんだろうな。
どんな体験も経験も、バンザイ!!
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一陽来復
ひろい世の中、長い人生、いつも心楽しいことばかりではない。
何の苦労もなく何の心配もなく、ただ凡々と泰平を楽しめれば、これはこれでまことに結構なことであるけれど、なかなかそうは事が運ばない。
ときには悲嘆にくれ、絶体絶命、思案にあまる窮境に立つこともしばしばあるであろう。
しかし、それもまたよし。
悲嘆のなかから、人ははじめて人生の深さを知り、窮境に立って、はじめて世間の味わいを学びとることができるのである。
頭で知ることも大事だが、身をもって知るということが何よりも大事。
塩の辛さはなめてみてはじめてわかる。
知るということにも、いろいろあるのである。
窮境に立つということは、身をもって知る尊いチャンスではあるまいか。
得難い体得の機会ではあるまいか。
そう考えれば、苦しいなかにも勇気が出る。
元気が出る。
思い直した心のなかに新しい知恵がわいて出る。
そして、禍いを転じて福となす、つまり一陽来復、暗雲に一すじの陽がさしこんで、再び春を迎える力強い再出発への道がひらけてくると思うのである。
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