フェイスブックでいつも胸に響いてくる坂爪圭吾さんの言葉。。。
書き留めておきます。
※坂爪圭吾さんとは。。。
家を持たず、世間でいう『仕事』もせず、小さなリュックに入る必要最低限のものだけがある状態でどこまで生活していけるのかに挑戦し続けている若者で、とにかく枠のハズれる気づきをフェイスブックやブログに綴ってくださってる大人気行動派ブロガーさん。
一度お茶会にお呼びしたことがあって、その時は日本中を渡り歩いていらっしゃる状態だったのですが。。。
今では、その時の予言どおり、渡り歩く場所は海外に広がっている。。。!!
すごいよね〜〜〜
そのお茶会のようすはこちら
頭の中で思いついた気づき、というよりも、彼が自らの体を使って行動した結果体得した気づきには、宇宙の真理が散りばめられていると思うのです。
昔は「いつかホームレスになるかもしれない」という謎の恐怖が常にあった。しかし、実際にホームをレスする経験を通じて「家がないとはこんな感じか(意外といけるぞ)」ということがわかった。現実ではなく、自分の想像力に殺されてしまうことはよくある話で、多分、現実は意外と大丈夫だ。
生きるために一番大切なもの、それは金でも勇気でも名誉でもなければ特別な才能でもない、安心感だと思う。失敗しても良いという安心感、自分は護られているのだという安心感、ダメな時は元気が出るまでゆっくりしていればいいのだという安心感があれば、多分、人間は何度でもやり直せる。
正しさを追い求めると重くなる。楽しさを追い求めると軽くなる。多分、人の心を動かすものは「正しさ」よりも「楽しさ」だ。どれだけ正しいことを言えるひとでも、一緒にいる時間が楽しくなければ、こころは簡単に疲れてしまう。大切なものは、完璧さよりも「人柄【可愛げがあること】」だ。
深刻にならないこと。人間の想像力には翼があって、いつでも、何処にでも自分の好きな場所に行くことができる。目の前にあることは軽くもなければ重くもない、ただ、そうであるだけのことなのだと思う。大切なことは、綿毛のような「軽やかさ」だ。
心配をすることは「あなたには力がない」ということを伝える否定的な力があり、信頼をすることは「あなたには力がある」ということを伝える肯定的な力がある。心配よりも信頼をしよう。自分を信頼することは相手を信頼することに、人間を信頼することは人生を信頼することになるのだと思う。
自分で「どうにかしなきゃ!」と肩肘を張ってしまうこともあるけれど、人生の大半は「【自分の力を超えた所で】どうにかなってしまう」ものなのだと思う。人生を信頼して肩の力を抜いた状態で身を委ねていけば、きっと、日々は幾つもの輝きに溢れた瞬間を見せてくれる。
失うことを恐れてしまうと、もっと大切な何かを失ってしまうような気がするから、何かを守りそうになっている自分を見つけたら、出来る限り蹴飛ばしていきたいと思う。失っても、失っても、どれだけ多くのものを失ったとしても、絶対に最後に残るものがある。多分、それが【自分】だと思う。
いま、この瞬間に、喜びをもってやれることを実際にやってしまうこと。自分の胸を高鳴らせるものに出逢った時は、時期を選ばず、場所を選ばず、結果に対する執着を振り払って、そのままの姿で突き進むこと。閉塞感や停滞感を突破するものは「俺はやった」時に感じる清々しさ、潔さだと思う。
未熟でも、不完全でも、世界に向けて「自分はこういう人間です」と宣言をすること。足りないものは何もない、自分にはこの肉体とこの精神しかないのだから、ありのまま、自分のままので自分の姿を誇ること。不完全なら不完全なりに、不完全なままで胸を張る。多分、その姿が『完全な自分』になる。
やりたいことをやる、言いたいことを言う、会いたいひとに会う、行きたい場所に行くということ以上に、優先するべきことはあるだろうか。自分の理想は今日も生きたと思って毎晩眠りにつくことであり、最後の瞬間に「俺は生きた」と思いながら、こどもが眠るように、人生に幕を降ろすことだ。
坂爪さんのブログはこちら→『いばや通信』
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