いま、私は、自分自身を整理しきれないでいます。
急激な変化についていけていない…ついていくのに必死っていう感じかなあ…。
いえ、転居したとか、職場を変わったとか、そういう物質的な側面の変化ではないんです。
出逢う出来事や、出逢う人々が明らかに変わってきている…。
それも、本当にミラクルな方法で道ができていく感じなのです。
今まであり得なかったことが目の前に次から次へと展開されていく…。
予想だにしなかったやり方で…。
そして、それをびびりながらも受け取っていく自分がいます。
気持ち的には、上にいったり下にいったりを繰り返してバタバタしてはいるんですけどね。
これ、私だけではなく、まわりにもそういう人がいっぱい
体感覚的にも、なんだか、変わってきている。
左脳派から右脳派にって感じかなあ…。
だからといって、何かが見えるとか、聞こえるとかは、いまだにないんだけど…。
感じることはあるけどね。
そんな変化の過程で、また新たな視点をいただきました。
私は、癒しって、「共感すること」だと思っていました。
※ここで、「共感」を「同感」と区別することも必要になります。
「同感」→「うん、うん、わかるわかる〜!私もそうだったから!」
「共感」→「そうかー、そう感じるんだねー。」
共感して寄り添うことが癒しにつながると思っていました。
でも、どうやらそれは、本当の意味で相手を癒すことにはならないようです。
「寄り添う」というのは、セラピストの傲慢であり、相手の変化を促すのにはマイナスになってしまう場合がある。
寄り添うのではなく、
相手の力を信じて、ただただ相手が自分で変化していくその場に共感すること…。
そんな姿勢を貫くことがセラピストの真髄なんだなー。
ふと思うに、それはレイキにも通じるんだなあー。
自分と、相手と、宇宙を信じる…。
ただただその場に共感する。
愛であり、宇宙の法則であり、神であるその波動と共にただ在ること。
これが、セラピストの真髄…。
もちろん、人間ですから、いつもいつもというわけにはいかないけれど、
セラピストとして在るときにはそうでありたい…。
言葉にするとすごくシンプルなんだけど、
これを本当の意味でできる人って少ないのではないかと思います。
そんな中のおひとりに出逢えたことは、私にとって、ものすごい衝撃です。
この出逢いにこころから感謝します。
そして、その場に居合わせたおひとりおひとりにこころから感謝します。