愛の拡げ方☆

今日は、今朝届いた 秦由佳さんのメルマガから…。

ここに掲げずにはいられないほど、いまの私のこころに響く内容なので。

このブログを読んでくださっているご縁のある方のこころに響けば…ベルキラキラ



〜以下、略した箇所もありながらの転載になります〜



【愛の拡げ方を、私たちはずっと探している】

私たちは、それぞれ「愛の拡げ方」を持っていますし、潜在的

その方法を知っています。

愛というのは、心を受け入れる、と書いて「愛」になります。

私がずっと叫んでいること、それは

【人は、傷ついていない!人は常に愛したいと思っている】ということ。

つまり、本当は誰も「奪われる恐れ」など持っていない、というのが真実だと思っています。

ですが、恐れは事実です。不安になるのも事実です。

つまり、幻想は幻想でありますが、幻想自体は、けっして嘘ではない、

というのも、私の一つの考え方です。

だから、現れた幻想の感情に対して、私たちは

「それは、幻想なんだけど、何を意味するのか?」と

しっかり、「距離をもって、自立して」接していくことが
この肉体を持つ人間としての、幻想との付き合い方だと思っています。

さて、愛の拡げ方を私たちは試しに、この世にやってきました。

ある意味、愛の拡げ方の元は、一つではあるけれど、

その拡げ方を様々に細分化して、フラクタルになっていった結果

私たちの「自我」が生まれているのだと思うんですね。

ちょっと意味わかんないかもしれませんが、

「愛」を「色」だとすると、「黒」は「Aさん」で
「白」は「Bさん」だということ。

つまり、「私たちは、結局はひとつなんだね」という

なんとも、普通のスピリチュアルな結論に至ってしまいました。

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愛の拡げ方を、私たちは生まれてくるときに、神様に提出してきます。

合格したら、その愛の拡げ方を出来るような肉体を持つために、

それを創造してくれる父と母を生む。

だから、子は親の親であり、私たちは全ての創造主でもあるんですね。

そして、その両親に「その両親の育て方」をしてもらうことを選択し、

「自分の愛の拡げ方」が出来るような個性に、自分を仕上げていく。

ですが、個性というのはある意味コンプレックスの束みたいなもので、

ひっくり返すとただの「面倒くさい自分」ですよね。

つまり、過去に自然に起きた「と思い込んでいる」ことも、

全ては自分の愛を拡げるための、ただの通過点だったということがわかります。

さて、これは何かの寓話でしょうか。それとも秦由佳の個人的な
脳内のストーリーでしょうか。

それは、読んだあなたが決めてもらって構いません。

ですが、忘れないで欲しい事。

いいや・・・思い出してほしい事。

あなたは、どんな言葉を使い、どんな色で、どんな音で、

どんな感覚で、そしてどんな人たちに、

あなたの愛を拡げていきたいでしょうか。あなたの肉体を使い、

宿っている魂を目覚めさせるために、どんな愛を拡げていきたいでしょうか。

何にうずうずしているのでしょう。そして、どうしていつまでも

【奪われる前提】でいるのでしょうか。

何かがなくなることは、本当にしょうもない幻想だ、とこの前分かりました。

でも、何かがなくなることによって、何かが得られている、ということに
気付けずに文句を言ってしまう自我も、しょうもない幻想だ、と

同時に気付いたのです。

つまり、「あなたの愛の拡げ方を、心に聞いてみてください」

それが、伝えたいのです。
ゲームのプレーヤーは、プレーヤーが傷ついても

自身が消えてなくなることはない、と知っているからこそ
それを楽しむことが出来るのです。

でも、ゲームを自分だと思い込んでいる私たちがいるので、
いつまでもプレイを楽しめず、ただそのゲーム機器を握っているだけに
なってしまう。

生きよう。肉体保存のためだけではなく、

死にゆく自分へ、喜びと感謝が出来るような日々を過ごそう。

だからさ、仕事嫌なら、やめちゃえばいいし、

会社に文句あるなら、言えばいい。

親が嫌いなら、嫌いって言いつつも反抗してみたらいいし、

好きな人がいるなら、好きって言えばいい。

肉体を持っているだけじゃ、それは生きているって言えないんだ。

怖い事に挑戦するのは、自分が持っているゲーム機器を

やっと、生かすことができる瞬間、そしてプレイをして

やっと、楽しめている瞬間なんだから。

だから、私はもう、あまり言い訳の浸透していくような世界ではないと

思っているし、少なくとも、そういうワールドに移行していくと思っている。

ダサい自分とおさらばしたいなら、ダサい自分の声に
耳を傾けちゃダメ。

心に聞くんです。「わたしの愛の拡げ方はなんですか」って。

愛されるためには、どうすれば、とか。

必要とされるためには、どうすれば、とかじゃなくってね。

今日、聞いてみてください、自分に。

【さぁ、愛を拡げる時がやってきましたよ】と。

不安で怖くてどうしようもなく嫌でたまらないのに、
それでも突き進んでしまうのは、それを越えた先に自分の愛があることを知っているから。

だから、絶対に挑戦する自分を誰にもバカにはさせない。
そして挑戦する者を誰もバカにはしない。










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