変わるということ☆

変わりたい。

 

だけどいつまでたってもおんなじところをグルグル堂々巡りをしているみたい。。。

 

早くここから抜け出したい。

 

 

 

そう思っている方に向けて。。。

 

私自身が過去その輪廻を抜け出すためバカみたいに(いい意味で)本気でやってみたことをシェアしてみよう、という気持ちで「ワンポイントレッスン」シリーズというカテゴリーを立ち上げてみました。

 

ほんとにバカみたいに(いい意味で 復・笑)簡単なことばかりになると思いますが、効果は抜群だと思うんですよ。

 

ま、数回で終わるかもしれない気まぐれ企画だけど苦笑アセアセ

 

 

 

 

ここで、「変わる」という言葉のニュアンス的なものについて。。。

 

そもそも、「変わる」とはどういうこと???というお話を。

 

 

「変わる」っていうのは、「自分じゃないものに変身する」っていう意味ではないんだよね。

 

もし、その「変わりたい」が、

 

「この自分ではダメだから。」

 

「自分のココがダメだから。」

 

というところからきているものだったら。。。

 

それ、きついよね。

 

 

自分を否定してしまうエネルギーで「変わりたい」だとさ、

 

自分じゃない何かになろうとしてしまってさ、

 

そりゃーできるわけないよね。

 

否定から始まるってことは、自分でいてはいけないわけだから、

 

「変わりたい」→「変わらないといけない」「変わらなければならない」

 

になっちゃって、その思いが重いよね。

 

 

 

変わりたい。

 

気もちはわかる。

 

私もずっとそう思ってきたから。

 

 

 

だけどさ、もうわかりきったことだけど、

 

何度も何度も聞いてきたことだけど、

 

桜は桜、菊は菊、ゆりはゆり。

 

桜が菊に、菊がゆりにはなれんよね。

 

私は私で、あの人のようにはなれんよね。

 

ならんでいいよね。

 

桜はいままで、ずーっと長い冬のあいだ裸ん坊の枯れ枝の状態で、パッと見それが桜とわからない状態で過ごしてきたよね。

 

そして少しずつ暖かくなってくると、いつの間にか芽を出し、つぼみを膨らませ、

 

いまこうして満開の花を咲かせて私たちを感動させてくれている。

 

そしてこのあと、葉っぱが出てきて、秋になるとその葉っぱが赤や黄色に色づいて、これがまたキレイなんだよね。

 

桜は桜として自分のペースでそのいのちを輝かせている。

 

この桜が、「わたし、菊になりたいのになれんもん。。。どーせわたしなんか。。。」って言って花を咲かせてくれなかったら。。。

 

もったいないよねえアセアセ

 

せっかくこんな素晴らしい個性をもっているのに。

 

桜は桜であることに誇りをもって(もってるかどうか私にはわからんけど)

 

その桜を生き切っているからこんなに素晴らしいんだよね。

 

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私たちもそうだよね。

 

ただこの自分を生き切ればいい。

 

いろんな個性をもっているにんげん、その中のひとり、「私」を生き切ればいい。

 

 

 

だから、変わるというのは、何か他のものに変わるのではなく、

 

「私」に還るということ。

 

「変わる」という作業には、

 

「私」の一部や「私」に起こった出来事を排除するのではなく、

 

一見自分にとって不都合に思えるそれらをぜーんぶひっくるめて認めることが含まれてくる。

 

そのうえで

 

要らないものを捨てて、本来の私にもどること。

 

 

 

この要らないものってのは、

 

本来の私が、この世でいろいろ体験していく中で外から取り込んできてしまった思い込みや信念などのこと。

 

いい思い込みは放っておいていいけど、本来の私を枠に閉じ込めるものだったら、そんなのいらんよね。

 

(あっ、いるんだったら全然持っててもOK。決めるのは自分自身。)

 

 

 

思い込みを外したい、枠を外したいならば、「気づき」が必要になってくるわけで。

 

自分がもっている性質や素質に気づく。

 

自分はどんな思い込みを身につけてきたかに気づく。

 

自分をつくっていたのは自分だったんだということに気づく。

 

そうして初めて自分の人生を自分で生きる道が始まる。

 

 

 

その「気づき」を得るためには

 

客観的に自分を観察する作業が欠かせないかもね。

 

ちょっと立ち止まって、自分で自分の内側を観る。

 

何か転機になるような大きな出来事でそのタイミングを授かる人もいるし、

 

日々コツコツ内観を積み重ねていく人もいる。

 

「気づき」を得るために各種カウンセリングやセラピーなどの精神分野の専門家の手を借りるのも有効だと思う。

 

だからといって、「あなたは○○です!だからこうするべきです!これがあなたの使命です!」と断言してくれる人を探して依存するってなるとまたちがうお話になる。これはまた別の機会に。

 

 

 

そしてスッキリと涼やかに、私は私の本質を輝かせることにいのちを注げばいいのです。

 

 

 

「私変わります。」って、そんなニュアンス。

 

「本来の私に還ります。」ってニュアンス。

 

 

 

だとすれば。。。

 

どんな私も認めていくことだよね。

 

私の中にはいろ〜んな私がいる。

 

一生かけても把握しきれないくらい。

 

表と裏があるように、すべてのものごとには対極があって、それは同時に存在していて、私自身もそういう性質でできていて。

 

どちらがいい、悪いってのは自分や人が決めているだけで。

 

「この自分ではダメだから」「自分のココがダメだから」って、

 

それ、ただの思い込みかもしれないよ。

 

どこをどんなふうに捉えて、どこに焦点をあてるのか。

 

自分の選択次第。

 

自分の意識の使い方次第。

 

決めるのは自分自身。ここだいじ。

 

もしかしたら、自分がコンプレックスと思っているところ、嫌だと思っているところ、

 

実はその中に自分の花を咲かせる大きなヒントがかくれているかもしれない。

 

 

 

あなたは何を選びますか?

 

大切にしたいものは何ですか?

 

どう生きていきますか?

 

 

それを自分で選んで、決めて、動いていくことが「変わる」ということ。

 

 

 

 

過去を創ってきたのも自分、いまを生きるのも自分、未来を創っていくのも自分。

 

すべては自分だということに気づいている状態で生きること。

 

それは紛れもなく本来の私に向かって歩みを進めていくということなのでしょうね。