最近頻繁に目にする記事。
私も愛読させていただいている田宮陽子さんの記事をいろんな方がシェアされている。
バシャールからもそんなメッセージが発信されていて、自分も夢中になってブログに書いたり、イベントを企画してみたことがある。
昨年くらいから走り始めたそれぞれの乗った列車が、これからの新しい時代に向けて、どんどん分かれていきますよ、というような、列車を使って例えた魂のお話。
田宮さんのブログでも、そのようなお話が、精神世界に精通してない人にもわかりやすいような言葉で綴られている。
本当に現在は、自分自身もそういう流れを実感していて、とてもとてもラクになっている。
まわりに居てくれる人も、来てくださるお客様も、私がラクで居ることができるような雰囲気の方が断然多くなった。
これはとってもありがたいことだ。
離れる人がいて、やってくる人がいて、離れていたけどまたやってくる人もいる。
それぞれのタイミングがあり、それぞれの世界がある。
それでいい。
そしてそれぞれがそれぞれの場所に落ち着く。
その場所はたぶん自分の中心だ。
それをみんな探しているのだ。
中心がわからず彷徨う人もいる。
その人はその人の学びの中にいるので、それもそれでいい。
いろ〜んな人がいて、いろ〜んなことを言っていて、いろ〜んな説があって、いろ〜んなやり方があって、いろ〜んな意見がある。
この情報社会で、そんないろんなものが飛び交いすぎてなんだか大変なことになってる感あり。
それに振り回される人がいれば
それを外から見てジャッジしたり、批判したりする人もいる。
その人もまた学びの中にいるわけで、それもまたそれでいい。
そんなことは実はどうでもよくて、
見るのは自分の中だけなんだろうなと思う。
数年前までは、「私も心を磨いて、みんなを導ける人になりたい」とか思っていたし、「この世のめんどくさい感情を超えていきたい」と思ったこともあるし、精神論で現実世界を乗り越えていこうとしていたこともある。
だけど、それ、みんな偏ってたなあ。
その時は一生懸命で気づかなかったけど。
そんな道のりも含めて、まるごとOK。
すべては自分に気づくためにある。
いろんな出来事も、ただそのためにあった。
自分が自分の現実を作っていた。
自分で自分の道を進むための。。。そんな自分の道に還るための出来事だった。
私(たち)は人間だ。
だから、いろんな感情を抱くのは当たり前。きっとそれは尊いことだ。
これからもいろんな出来事に出会っていくのだろう。
いろんな感情を味わうのだろう。
そして人間である自分を楽しんでいくのだろう。
それでいいんじゃないだろうか。
そうやってこの現実の世界の中でいろんなことを体験して魂を磨きながらこの自分を楽しむ。
自分の個性を発揮してやりたいことをやっていろんな形で自分を表現する。
それがまわりの人に影響を与え、振動が広がっていく。
私たちはひとりでいながらひとりではなく、まわりの人とともに歩んでいく。
その道のりを楽しめればいいのではないだろうか。